江戸時代末期から明治始めの頃と推定される町家のリノベーション。様式の異なった2軒の町家を一つにしているので、屋根の表情が変化に富む。川越氷川神社へ続く道路と主要道路の角地にあり、「かどみせ」「かどや」「さかうえ」などと呼ばれていたという。建物は当初から古材などを利用していたようで、川越城の杉戸なども見つかっている。この建物は、地域の子供たちのたまり場であった駄菓子屋として親しまれてきた経緯があり閉鎖後、氷川神社が取得して、明治150年を記念し、地域の文化活動を支える使い方がなされている。リノベーションは丁寧に行われていて、歴史的な経緯がわかるようにきめ細かな配慮がされている。川越の蔵造りに向かう道路と川越氷川神社への道路の角地にあり、景観上重要な建物である。
維持管理、運営の特徴
所有者と運営団体:川越氷川神社
展示物も川越の歴史を辿れる書物などが整理されて、求めれば解説もしていただける。旭舎文庫(あさひのやぶんこ)の命名由来は明治時代の川越氷川神社宮司・国学者・日本画家・歌人であった山田衛居(やまだ・もりい)の別号による。衛居が生きた明治、菓子屋の店先で子供たちが遊んだ昭和・平成に至る情景を偲び、次世代に受け継ぐことをねらいとしている。 地域の住民有志によって郷土案内館として運営されている。
周辺の見どころ
川越氷川神社は現在、境内に杜を復活させる再整備が進められている。本殿には氏子10ヶ町の山車の彫刻と共通する華やかな彫刻が飾られている。神社裏には、伊東豊雄設計のヤオコー川越美術館がある。水の中に浮かぶような佳品。川越蔵造りの町並みが続く「札ノ辻」交差点手前にある弁天町横丁では長屋のリノベーションが連続的に進行中。
写真:若林